modestblog by modestplan

雑記ゆえ。

生。

生き様とは何か?

死に様とは何か?

そんなものに
万国共通、
万人が共感できる答えなど
ある筈はなかろうし
正解や不正解もなかろう。

この世に存在する人
それぞれの中にしか
その答えはないのだと思う。

様々な宗教観や世界観、
思想、理想、幻想。

それらは
すべからく
人自らが考え出したものであって
そのどれもが正解なのだろうし、
あまねく不正解なのだろう。

人が考え出したそれらのものが
時にぶつかり合ってしまうからこそ
世界に争いは絶えず、
いつの世も
人同士は競争し合うのだろう。

一方で、
国や人種や宗教を超え、
愛し合うコトが出来るのも
また人だったりする。

人間とは
何とも
不安定で
どっち付かずで
あやふやな生き物である。

弱肉強食の世界に生きる野生の獣の方が
むしろ潔い生き方をしているのかもしれない。

でも
幸か不幸か
僕は人間である。

ずぼらで
怠け者で
優柔不断で
方や変に真面目なところもあり、
常に何かに悩み、
かといって意外と楽観的でもある。

そんな僕の生き様と言われても
皆目検討も付かない。

そんな僕の死に様が
どうなるかなど
もはや想像もつかない。

僕の父は
57歳で亡くなった。

僕の故郷で
母とバーを営む
自営業者だった。

オシャレで、
映画を愛し、
食にこだわり、
でも少しオッチョコチョイで
そして
底抜けに優しい男であった。

色んな意味で
男前だったと思う。

だが
僕が高校生の時にお店を改築し
さらに頑張ろうとしていた矢先。

病に倒れた。

母は病院で
父の余命が後1か月だと
宣告された。

お医者さんに
そのコトを告げられて帰って来た時の
母の顔は今でも忘れられないし、
そのコトを聞いた僕はその夜眠れず、
それから数日後に生まれて初めての胃痛に苦しんだ。

その後、
姉、兄とも話し合い、
父には病名は伏せるコトにした。

それから父は入院し、
母も泊まり込んで
看病した。

姉も、兄も独立しており
僕は実家で一人暮らしになった。

その時、
生まれて初めて味噌汁を作った。

味噌汁に出汁を入れるコトなど知らぬ僕は
味噌だけを溶かしたヒドく不味い味噌汁を
実家で1人で飲んだのだ。

不思議なもので
余命1か月だった筈の父は
それから6か月も生きた。

でもその間に
父は
日々瘦せ衰え、
弱って行った。

最後は1人で歩くこともできなかった。

それでも
気丈に振る舞い、
正月は家族全員で
実家で過ごすこともできた。

だが、きっと
父は自分の死を悟っていたであろう。

自分の生き様、
そして日々衰えて行く自分の姿を見て
己の死に様を考えたであろう。

それはとてつもない
恐怖だったと思う。

僕たち家族が
しっかりと父に
事実を伝えてあげた方が
本当は良かったのかもしれない。

余命を宣告されれば
残りの生き方も変わる。

そんな考え方も確かにある。

だが我々家族は
治るかもしれないという
希望を捨て切れなかったし、
父にも希望を持って生き抜いて欲しかったのだ。

しかしそれは
もう僕たち家族のエゴである。

死によってもたらされる
悲しみや空虚感は
亡くなった者ではなく
残された者の中に芽生えるもので
死に行く父を目の前にして
僕たちはエゴの塊と化したのだ。

それでも。

そんな僕たちを
父はきっと受け入れてくれていたのだと思う。

少なくとも
僕には闘病中一度たりとも
弱音は吐かなかった。

強い人だったのだ。

そんな強い人に
僕は果たしてなれるのだろうか?

わからない。

蛙の子は蛙というが
果たしてそうだろうか?

似てはいる。

でも
似て非なるものなのだ。

生きている時代も違う。

場所も違う。

今だって
父とはまるで違う人生を生きている。

この先も
きっと違う。

存在として
この世から消え失せてなお
父は僕の中で
生き続けている。

母、
姉、
兄、
家族皆の中にも生き続けている。

なんなら
心の中で会話すら出来る。

毎日、
遺影に向かって話しかけてもいる。

僕は
常に何かにすがり生きている。

亡くなった人にさえすがる。

でも
それで良いじゃないかと思う。

願わくば
僕も誰かに
ちょっとだけでも
すがられるような人になりたい。

そのためには
生き抜くしかないのだ。

全うするしかないのだ。

頂いた命だ。

どんなカタチであれ
死ぬまでは生き抜かねば。

親友のKNくんの
ご尊父が他界された。

とてもファンキーで
イカしたお方だった。

あの方も
生き抜いたのだと思う。

己の人生という
筋書きなど到底書ける筈もない
壮大なドラマの中を
必死に
全力で
全快で
満喫されたのだと思う。

KNくん。

生き抜こうではないか。

我々も
お互いの人生を。

良い感じに。

ちなみに僕の父は
入院中、ただの一度も病院食を口にしなかった。

理由は不味いから。

食べていたのは
母が作ったものか
行きつけのお店のものをテイクアウトしたものばかり。

病院食は
母がすべて平らげていた。

それに
大好きだったタバコも
止めなかった。

生き抜いたのですなぁ〜。

なんだか
今、改めて思い出すと
微笑んでしまう。

そして
もうひとつ。

女性は強い。

父が亡くなった後の
僕の母の生き様を見ていて
そう確信しています。

しかし
駄文長文。

【本日のお食事】
 ・朝:コーヒー
 ・昼:mimiさんの握り飯2コ ひじきとシャケ
 ・夜:近所の焼鳥屋

【本日の服装】
 ・無印良品のチェックなガーゼシャツ
 ・白なTEE
 ・LEVI'Sのクラッシュな501
 ・adidasの黒白なスーパースター
 ・GREGORYの黒なWayne Day